弟子について
僕は沢山の若いひとたちを教えている。
でもその中で弟子といえるのはごく一部だ。
よく弟子を表す表現にメンティーという単語をあてるケースを見るが、僕としてはこの単語を使うのは抵抗感がある。
なぜならそもそも師匠を指すメンターという単語はギリシャ神話に登場するキャラクターの氏名であり、オデュッセウス(ローマ風に言えばユリシーズ)の長期海外遠征中に「自分の息子の教育を、頼んだぞ!」と後を任されたのがメンターだからだ。
そしてメンターから教育を施された若者の名前は決してメンティーではなく、テルマセウスというれっきとした名前がある。
それなら、弟子はメンティーではなく、テルマセウスだろう?
言い直せばメンティーという言葉を「捏造」したのは、学のないネット民か何かであり、普通はプロテジェとかアプレンティスという言葉を用いるということ。でもそれらの単語も語感的には師匠の意のままになる奴隷的な響きがあり、僕は使うのをためらってしまう。
もうひとつ、メンターのエピソードには重要なディーテールがある。それは本当にテルマセウスに対して貴重なアドバイスをしたのは、実はメンターを装ったアテナ(ローマ風に言えばミネルヴァ)だということだ。
Keep reading with a 7-day free trial
Subscribe to 最期の10年 to keep reading this post and get 7 days of free access to the full post archives.